錬金術のゲームを作るために錬金術関係の本をたくさん読んで設定を考えたりグラフィックを集めたりシステムを考えたりして超充実していました。
それにしても錬金術は中二病ですね。
秘密主義なので一般の人が読んでも分からないように言葉を暗号のようにしていて、例えばあるレシピはこのように書かれています。
東の太陽が結婚するとき、われらが緑のライオンと太陽を熊にて結婚せしめ、・・・・・
中学二年生の自習ノートですか?
錬金術師の目的は「賢者の石」を完成させることです。
この「賢者の石」とは、
初期の時代は「金ではない金属から、金を作り出すときに必要な触媒となるもの(基本的に液体・人によっては固体と言う)」のことでしたが、
時代の後半になるにつれ「不老不死の霊薬(液体)」のことをさすようになったのかと思います。
または、「エリクサー(究極の液体)」のことを暗号として「賢者の石」と呼び、それは触媒と霊薬の二つの効果が同時にある液体だったのかもしれません。
いろいろな文献をみましたが一致した見解がなく結局よくわかりません。これが錬金術師の策略なのか。完全にしてやられいています。
ただ、当時の錬金術師たち自身も「どうやったら完成するのか」「自分のものは完成しているのか」よくわかっていませんでした。
「賢者の石の作り方はこうなのだ」という書物を出版するわりに、「そのとおりにやって実際に成功した!」という人がひとりもいないのです。
でも、フラスコのなかで物質を反応させ、生物を誕生させる(錬金術師は成果物のことを生命や赤ちゃんと捉え、命を生み出すような感じで慈しみながらフラスコを炉で加熱し続けていた)姿勢には共感できました。
「今回は成功するかな・・・ドゥヒヒ・・・」とフラスコを覗き込みながらグツグツと醗酵させているときなんか超たのしかったのではないでしょうか。それはとてもよく想像できるのです。
レシピの暗号を推理して実際にやってみるときのワクワク感はとんでもないですね。しかも錬金術が医療と化学に分かれる前の前科学時代なので、物質名を二酸化亜鉛とかではなく「ヴィーナスの涙」とか中二感満載の用語で呼んでいて現実とファンタジーのさかいがあいまいな感じも良いですね!
「フラスコの中で新しい有機生命体を作り出す」
「キメラ生命体を作り出す」
というのは小学生の時から超やりたいと思っていることで、考えるだけでもテンション上がるのでございます。
上半身ヤギ下半身魚の生物などを作って遊んでいた時期もあるのかもしれません。いまも動物図鑑を眺めてスゲーデザインだな!作ったひと天才!と感心しきりだし、特に鳥の模様デザインなどはすごすぎてくやしくなります。
「天地創造デザイン部」という生物をデザインする神々の漫画がありますが、いいなー!!ずるい!!!!!!!俺だってやりたかったのになぜ今は自由にできないのか!!!!!というジェラスィーが大爆発してこの漫画のタイトルを見るのさえつらいのでございます(笑)。ちくしょうめ!!!
いっぽうで、循環が十分でない環境にて実験生命を飼育していたせいで死なせてしまったときの「あ~あ・・・またダメだったか・・やっぱり閉鎖環境になってしまうと絶対死んじゃうよなあ、ほんとうに申し訳ない・・・」というガッカリ感も非常にありありと折に触れ思い出します。
この人生でもキメラ生命体を作りたいと思い大学は生命何とか学部に入ろうとしていましたが「キメラを作ったところで人類になんのメリットがあるのか」と思い直してやめました。
去年もカメの背中にマングローブを定着させてリアルドダイトスをつくろうとしていましたが、カメは甲羅を紫外線に当てないとダメなこと、カメの命の責任を最後まで取れないことから断念しました。
合成生物学、生命科学などの本をみますが、今の技術でも有機細胞ひとつ作り出すことができておらずガッカリしております。
ということで錬金術で鉱物とファンタジー物を混ぜて加熱して某「石」とか四大精霊とかを作り出すゲームを作って昇華しているのでございます。
おわり!